空飛ぶペーパードライバー

短歌やお笑いや映画や人生などの感想

クール・ジム・ジャームッシュ

ジム・ジャームッシュの作品には強烈に独特な「かっこよさ」があって、そしてそんな表現を、絶対全部「感覚」でやってるな、っていう感じが好きだ。理論づけたり、理屈で説明したり、言語化することができない、あるいはそれを拒む、絶対的圧倒的な「センス」としか言いようのないものの説得力。そしてそういうものを持っているひと、それを結晶化する能力を持っている芸術家は、たぶんたくさんいるのだけど、「我(が)」に負けずに映画という高度に産業的な分野でそれを発揮し成立させ、評価を得ているというバランスの取り方も非凡だ。

昨年公開の『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』もかなりうっとりな仕上がりだったのだけど、そのパンフレットに載っていたインタビューで、なぜ舞台にタンジール(モロッコ)、またデトロイトを選んだのかを訊かれて「多少抽象的になりますが、自分にとって感情的に魅力を感じるロケーションだったからです。(中略)具体的に『なに』に惹かれたのか、分析するのは難しいのですが、(デトロイトとタンジールが)自分にとって適している、また面白いと思える場所だったということでしょうか。」って完全に多少どころでなく抽象的・感覚的なことを答えていて、ああこれは、正味だ、といたく感動した。このひとは「感じる」のひとなのだ。

小汚い茶店でコーヒー(ときに紅茶)を飲み、煙草を吸う、さまざまな人々の11のエピソードを数分ずつのオムニバス形式で描く『コーヒー&シガレッツ』は、そのジム・ジャームッシュのセンス、いわば「見方」を純粋に感じるにもってこいな映画だろう。登場するのは、いまいち噛み合わないミュージシャンふたり、大女優と売れないロッカーの彼女という立場の違いすぎるいとこ同士、売れっ子役者と端っこの役者、武器について調べている美女とずれたウエイターなど、一癖二癖あり。ドラマティックな展開はなく、とりとめのない会話が繰り広げられるだけ。しかし、その端々からさまざまに感じ取れるものがあり、観ているうちジム・ジャームッシュ独特の「見方」のしかけにじわじわとやられる。おかしな話、噛み合わない会話、気まずさ、けだるさ、変な意気投合……肩の力の抜けた滑稽さが妙に心地よい。

そしてどの章でも、「労働者階級の飲み物」コーヒーのカップをカチンとあわせて優雅に乾杯をするその態度が象徴的だ。ジム・ジャームッシュの映画に出てくるかっこいいひとびとってみな「はみだし者」でお金とかあんまり持ってない。なのにすごく「優雅」なのだ。しびれる。

そういえばはじめてのジム・ジャームッシュ体験は高校のときに所属していた文芸部で顧問の勧めで観た『ストレンジャー・ザン・パラダイス』なのだけど、鑑賞後みんな困惑してかなり変な空気になった記憶がある。私も困惑した。どう評価して、どう感じて、どうおもしろがればよいのかがわからなかったのだ。だけど一度しか観ていないあのろくに筋立てもなく変なテンポの変な終わり方の映画は、白黒のざらついた画面は、強烈に印象に残っている。

ジム・ジャームッシュはとくに深夜に観ると「名作だな……」とか想って変な感じにテンションが上がったまま眠りにつけそうだ。もしくはぼんやり観ながら寝るのもよい。まだまだ観てないのがいっぱいある。愉しい。