空飛ぶペーパードライバー

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砂の気持ち - 稀風社配信にお呼ばれした話

 
先日、私が所属している北海道大学短歌会の現在の会長であるところの三上春海さんがそとでもともとやっている「稀風社」というすてきなサークルの歌会をUstream配信するというやつに、おなじく北大短歌所属で第五十七回短歌研究新人賞を受賞したばかりの石井僚一さんというヤバめのひととともにお呼ばれした。
稀風社は鈴木ちはね(すずちう)さんと三上春海(カミハル)さんのふたりによる短歌をする集まりで、「稀風社の⚪︎⚪︎です」と名乗るのはこのふたりだけなのだけど、今回の配信に参加していた木屋瀬はしごさんや情田熱彦さんのようにまわりにすてきな方がたくさん集まっていて、稀な風がぴゅうぴゅう吹いている。
鈴木ちはねさんが以前ブログで、北大短歌第一号に掲載された私の短歌の感想を書いてくださった縁などもあり、呼んでいただいた。(だいぶ経っている今でも嬉しすぎるのでリンクを貼る⇒父が以前住んでましたと言いかけてやめて鍋へとなだれるうどん (短歌の感想 その3) - サイトシーイング
 
配信は上にリンクで貼ったとおり、録画が聴けるのでよろしければぜひ。 
歌会の配信に参加しての個人的な感想は、とにかく私は反射神経がにぶいのだなぁということである。どんくさい。想うことを言語化するのにとても時間がかかるし、自信もない。北大短歌に所属して月に2回とか歌会をやる生活がもう2年とかになるけれど、相変わらず無駄に緊張してしまい選にも評にもめちゃくちゃ悩む。恥ずかしい。もっと意識的に改善しようとしなければ。みなさんとても反応が早くて、面白いことをつぎつぎぽんぽこ述べていて、タイミングも適切で、物腰は柔らかで大人で、かっこうよかった。石井さんもちゃんと石井さん節を効かせていてばっちりだった。
 
配信に出ていたのだから配信中にしゃべりなさいよという話なのだけれど、時間を置いていろいろと想うところもあるので、せめてもの自分の気持ちの供養とみなさんへの感謝とお詫びの気持ちをこめて、歌会で提出された歌について言い足りなかったことやあらためての感想をここに書いていきたいと思う。
 
 
1.よく見ると砂みたいのが使用済みコンドームの中に混じってる(石井僚一)
 投票:鈴木 視聴者票:1(taku_sona)
 
 歌会をし終えて、もう一度全体を見回して選を入れなおすなら、この歌にするかも。ほんと、「よく見ると」じわじわくる歌。歌会中、「わけもなくよく見ちゃってる変な状況説」と「やぶれてないか確認するためによく見てる説」とが出てきたけれど、やっぱりどっちにしろ、みんなそんなに使用済みコンドームを「よく見」たいわけはないはずで。でもそれを「よく見」ちゃってる、それはやっぱり奇妙。それと事後の我に返ってる感じ、静かなやるせない感じが、淡々とした説明口調でよく出ているような気がする。それから、砂みたいのが混じってる、っていうことの異物感と、事後のなんとないぎこちなさというか居場所のなさ、みたいなのがやっぱり響き合っている。ぬるぬるした感じのなかにあるざらっとした感じ。

2.日本国ほろぼせ 金盥の中に貝らは念ず砂を吐きつつ(鈴木ちはね)
 投票:じょーねつ、中村 視聴者票:2(amazo3、wataruyamada395)

 票を投じた歌でした。歌会中、「ほろぼせ」がひらがな表記であることの良し悪しとか意味合いについて話題になっていたけど、私は「ほろぼせ」がひらがなであるところをよいと感じました。「金盥」「貝らは念ず」と、かたい表現をしているけれど、「滅ぼせ」までは漢字にしてしまうほどの本気ぶりではなく、ひらがなで「ほろぼせ」っていう、ちょっともう力があんまり残ってない感じ、やっぱりそのバランス感覚を魅力ととらえることができるんじゃないかと。あと、貝ってやっぱり物言わぬものだから、言葉にならない、たしかに鬱々とした怨念を「念ず」っていう感じだよなあ、と。「念ず」、出てきそうで出てこない表現なんじゃないかと思う。言葉は吐けないけど砂を吐いている、というのもすごく悔しそうな感じが出てる。

3.よく来たね遠いところを 砂と水で君にごはんを作ってもらう(中村美智)
 視聴者票:1(imaishin1731)

 自分の歌です。歌会中に石井さんが「砂に水を持ってくるのが良い」と言ってくださったのですが、題詠「砂」で詠むとなって「水」を持ってきたのはたしかにちょっと閃きだったかもと思います。もっと物質的なイメージで、とらえどころのない感じの「砂」の歌を詠むつもりだったのですが、考えているとどうしても「砂」っていうものが抱えている、悠久の時を超えてきた感じというか、遥かなるものっていうイメージが強く出てきて、こう、「母なる感じ」でいってみた次第です。あとはやっぱり、はじめのほうでじょーねつさんが指摘していたように「幼児性」っていうのがキーワードで、大きくなった私たちからすると「砂」といちばんよくふれあっていた記憶というと、砂場で遊んでいた小さな頃の感覚にたどりつくんですよね。
 自分じゃないひとが自分の歌をいろんなふうに読んでくださるのはやっぱり幸せなことだなぁと、みなさんの評を聴いたり見たりしながら想っていました。

 4.盛砂にロケット花火を立てたけど安定しなくてこっちに来てる(木屋瀬はしご)
 投票:石井 視聴者票:1(basyou0418)

 歌全体としては、「けど」で「転」になって、「こっちに来てる」で「オチ(結)」としてわーってなる感じ、というベタな四コマ漫画感のある構造が良い、というじょーねつさんの評が完璧だなぁと思いました。
 石井さんは妙に「ひとり花火説」を推していたけど、やはり複数人で花火をしていて、その中でもとくに自分のいる方、「こっち」に来てる、という読みの筋が「妥当」なのかなとは思う。そしてそうなってくると、「砂浜にロケット花火を立てたけど」っていうなんてことなさそうな表現が切なく効いてくる。というのも、その行為の主語(複数人いる中の誰が立てたのか)が書かれていないことで、それを書く必要がないっていう感じ、つまり「それはその場にいた『私たち』みんなの行為だった」っていう含みが出てきて、その儚い、つかの間の団結性みたいな感じがきらきらしてきて、切ない。そしてこれは「立てた」のが「こっち」にいる自分でもそうでなくても効いてくる話。やっぱり「花火」っていう題材だからそういう夢幻っぽい感じを呼び起こすっていうのはあるんですけど。しかも、火花が出るようなきれいな花火じゃなくてロケット花火っていうふざけた感じなのも、ギャグっぽさのある切なさというか。

 5.やな話砂だれている堤防の凹みの中の砂が俺だよ(情田熱彦)
 投票:三上 視聴者票:2(antiskeptic、maedarokugatu)

 わからないから票を入れた、と三上さんが言っていて、その感覚というか姿勢がやはり善いなぁと思う。すごく変な表現を連発している歌で、やっぱり基本的には「わからない」。だけど「やな話」っていう変わった導入(じょーねつさん曰く「枕詞」)、「砂だれている」っていう見たことない表現、「の」でたたみかけて「俺だよ」でズドーンと終わる感覚、面白い。すずちうさんが「情報が出てくるたびどんどんわけがわからなくなっていく感じ」というようなことを言っていたけれど、本当にそんな感覚。
題詠「砂」ということでいうと、「砂」っていう物質のとらえどころのない感じが意外とよく出ていて、ってあれ、これも歌会中に誰かが言っていた気がする。こういう評をしづらい歌の良いところや悪いところをちゃんと言語化するちからがみなさんちゃんとあって、見習いたいと思いました。なんだかんだ脳に残る歌だなあ。

 6.ぼくらには砂しか似合わないけれど、ふたりでつつむ春のご祝儀(三上春海)
 投票:木屋瀬 視聴者票:2(yorui_yozora、shinkuwa)
 
 まず「砂が似合う・似合わない」っていう発想自体が普通の感覚じゃない。題詠「砂」でこういう持っていき方をする人はなかなかいないのでは。だけど投げやりな感じではなく、ちゃんと作者なりに「砂」をとらえた上でこういう使い方をしているっていう感じがします。砂「しか」と言っているように、どちらかというとネガティブな意味で砂以外が似合わないということをとらえていて、だけれどそんな「ぼくら」に尊い繋がりを見出している感覚は確実。だめ押しのように下句では「ふたりで」行為をしていて、それも「ご祝儀を包む」という夫婦かなにか高度な繋がりをもったふたりでないとできない行為。はしごさんが「うらやましい」という感想を述べていたけれど、たしかにそう言ってしまいたくもなる感じがある。ただ、ソーシャルストリーム欄への投稿でもたしか指摘がありましたが、「けれど」でつないでいる上句と下句の関連性がそう簡単にはとれないところがあって、この感覚とか発想についての考察っていうこと以上の評がなかなか難しい歌。3首目もそういう感じだったかもしれない。
 
 
三上さんに、題を考えてほしいと言っていただいて、直感で「砂」という題が面白そうだと思い、設定させてもらったのだけれど、きっかけにはシャムキャッツってバンドの「渚」っていう曲のサビの「砂の気持ちになったよ」っていう歌詞があったような気がする。シャムキャッツは結構びっくりする歌詞をさらりと歌っているバンドで、はじめて聴いたとき「砂の気持ちってなんだ!?」と衝撃を受けた。結局未だにその真意はよくわかってないのだけど、この「砂」っていうののとらえどころのなさは面白いなー、いろいろ広がりもあるしすごく詩になる言葉だなー、と想っていたのです。
 
ところで、私は春の文学フリマですずちうさんとじょーねつさん(と、ご挨拶はできなかったけれどたぶんはしごさんもお見かけしました)にお会いしているのだけど、すずちうさんに「海岸幼稚園」を売っていただいて、はじめてちゃんと面と向かって会話をするという段になったとき、とても嬉しかったのだけれど、なにを言えばよいのかまるでわからず、口から出てきた言葉が「ツイッター全部読んでます」というものすごく微妙な発言で、すずちうさんにも「全部ですか…」というものすごく微妙な反応をさせてしまい、そのことを未だに私は後悔しています。先日の配信のあとも少しお話をする時間があったのだけれど、お伝えしたかったことがあと20個くらいあったのにぜんぜんうまくしゃべれなくてふがいなかった。ふがふが、またどこかでコミュニケーションをさせてください。
 
まとまりませんが、すずちうさん、かみはるさん、じょーねつさん、はしごさん、そして石井さん、ありがとうございました。またなにかご一緒する機会がありましたら、うれしいです。
稀風社さんについてかんがえていることとかは、またそのうちちゃんと書きたいとおもっています。(「海岸幼稚園」すばらしかったです、なんというか、まぶしかった。)